はじめに
量子テレポーテーションは、未知量子状態を離れた場所に転送する方法です。
標準的な説明では、状態ベクトルを書き下し、ベル基底で展開し、
測定結果に応じた行列演算を行う、という流れで紹介されることが多いです。
もちろんこれは正しい説明ですが、量子テレポーテーションで起こっていることを特定の基底表示に依存したものとして解釈したくなってしまうデメリットがあります。
この記事では、確率分布をメインに据えた、基底によらない量子テレポーテーションの解説を展開します。
未知状態を測って知ることは簡単ではない
量子テレポーテーションを利用せずとも、未知状態を古典的な通信で共有することはできないでしょうか?
古典的な通信で送信するためには、まずは未知状態 \(\rho\) を特定する必要があります。
そのためには同じ状態を何度も準備し、複数の物理量を繰り返し測定して、その測定結果の統計から \(\rho\) を推定する必要があります。
しかし、測定すれば一般に量子状態は壊れてしまいます。
そのため、未知状態の測定データを送信し、送信先で状態を再構成する、という方法はうまくいきません。
未知状態を事前にたくさんコピーし、それぞれを測定することで状態の特定ができるのではないかと考えたくなりますが、一般に確率分布は複製できないことが知られています。(複製禁止定理)
このことから、未知状態を送信したいのであれば、未知状態についての情報は測定してはいけないという、一見矛盾するかのような結論が得られます。
量子テレポーテーションでは、この制限の穴をうまくついた方法で状態の送信を行います。
状況設定
三つの量子ビット系 \(A,A^\prime,B\) を考えます。
アリスは二つの量子ビット \(A,A^\prime\) 、ボブは量子ビット \(B\) にそれぞれアクセスできます。
\(A\) はこれから送りたい未知状態にあり、\(A^\prime,B\) は EPR 対をなしています。
図示すると、初期状態は次のようになります。

\(A\) の未知状態を \(\rho\) と書き、\(A^\prime B\) には EPR 対を
と書くと
全体の初期状態は
と表せます。
ここで、上付き添字はどの系に属しているかを表しています。
測定と確率分布の設定
実験の初期条件が定まったので、次に\(A,A^\prime\) 系に対してはアリスが、\(B\) 系に対してはボブがそれぞれの物理量を測定することを考え、その時の確率分布を設定します。
量子状態の定義
この記事で最も重要なのは、「量子状態はあらゆる測定に関する確率分布のソースである」という理解を徹底することです。
つまり、測定に応じた射影演算子を \(M_x\) としたとき、
という確率分布を生み出す \(\rho\) が量子状態であるという定義を徹底します。
こうすることで、系 \(B\) の状態を求められるようになります。
アリス側のベル測定
状況設定で用意した初期状態にある系 \(AA^\prime\) に対してベル測定を行います。
という4つのユニタリ演算子を用いて
という4つの状態を定義します。
これらをベル状態といい、ベル測定の射影演算子は
と定義されます。
ボブ側の任意測定
アリスと同時に、\(B\) では任意の物理量を測定します。
ただし、同時と言っても時間的に同時刻という意味ではなく、同時確率分布を考えるという意味です。
任意物理量の測定に対応する射影演算子を\(\{M_x\}_x\)と書きます。
これは全確率が1になる条件
を満たすとします。
同時確率分布
全体系に対して「\(AA^\prime\) ではベル測定で \(m\) が出る」「\(B\) では任意物理量の測定で \(x\) が出る」という事象の同時確率分布は、Bornの確率規則を用いると
と計算できます。
この同時確率分布が、量子テレポーテーションの主役です。
同時確率分布の解析
それでは同時確率分布を調べていきましょう。
まずはアリスとボブがアクセスできるそれぞれの周辺分布を見ていきます。
ボブ側の確率分布
\(B\) 側の測定結果 \(x\) の周辺分布とは
で定義される\(x\)のみに関する確率です。
として同時分布の式を代入すると、
ここで、
を使用しています。(計算すると示せますが省略します。)
上式からわかるように、\(p(x)\)には未知状態\(\rho\)の情報が含まれていません。
そもそも未知状態がある\(A\)系にはボブはアクセスできないため、これは当然の結果です。
アリス側の確率分布
次にアリス側のベル測定の確率分布を計算します。
\(m\)に関する周辺分布は
となります。
\(\sum_x M_x=I\) を使うと
という一様分布となります。
驚くべきことに、アリスの手元にあったはずの未知状態はベル測定の確率\(p(m)\)には全く関与していません。
これが冒頭で述べた、未知状態測定の禁止という制限の穴をつく量子テレポーテーションの巧妙なトリックです。
アリスは未知状態の情報を全く得ない測定をし、ボブはそもそも全くアクセスできていません。
それでは未知状態の情報はどこに消えたのでしょうか?
それは、ベル測定結果で条件付けた確率分布に含まれています。
条件付き確率はどうなっている??
ベル測定の結果 \(m\) による \(B\) 側の測定結果 \(x\) の条件付き確率は
となります。
\(M_x\) の任意性と「量子状態はあらゆる測定に関する確率分布のソースである」という定義を思い出すと、
が\(B\) の条件付き状態になっていることが直ちに分かります。
この \(\rho_m\) には確かに未知状態 \(\rho\) が含まれています。
従って、未知状態\(\rho\)は巧妙に条件付き確率に隠蔽されていたことが分かりました。
ただし、そのまま \(\rho\) になっているわけではなく、ベル測定の結果 \(m\) に応じて、\(U_m\) だけずれた形になっています。
さらにボブは\(m\)の値を知らないため、条件付き確率にアクセスできません。
そこで必要になるのが、「測定結果\(m\)の古典通信」です。
この\(m\)が共有されれば、その値に応じてボブは条件付き状態に \(U_m^{\dagger}\) を作用させることで
と、手元に未知状態を顕現させることができます。
最後に
ここまでで、量子テレポーテーションの重要なポイントは同時測定の確率分布にあるという解説をしました。
通常の状態ベクトルをメインにした計算では、テクニカルな式変形によって抽象的なベクトル空間の舞台で何かが起きているかのように錯覚しそうになります。
この錯覚を避けるために、本記事では確率分布をメインに論理展開をしました。
そうすることで、未知状態の情報がどこに現れ、どの操作で復元できるかを条件付き確率の性質によって理解できます。
ただし、ベクトルには重要性がないかというとそうではありません。
EPR対が最大にエンタングルしていたために条件付き確率に未知状態の情報を隠蔽できていることが数学的には重要なのも事実です。
最後に注意したいのは、未知状態 \(\rho\) はアリスの手元という特定の空間的な場所に存在していたわけではないということです。
もし、アリスの手元に存在する何かだとしたら、何らかの方法で未知状態を移動させる必要があります。
しかし周辺分布で見たように、\(m\)には未知状態の情報は全く含まれていないため、アリスは未知状態をボブに転送していません。
未知状態は確かに\(A\)の状態ですが、それと同時に実験全体を記述する確率分布のソースの一部に過ぎず、特定の場所に存在する何かではないのです。
それ故にボブは\(m\)を知るだけで条件付き確率\(p(x|m)\)を介して未知状態にアクセスできるようになります。
他にも量子の面白い話題を扱っています。
ぜひ読んでみてください!