複数の系をまとめて扱うとき、なぜテンソル積が出てくるのか。ここではその点を、いきなり公理として受け入れるのではなく、古典的な相関の式を丁寧に書き直すところから見ていく。やりたいことは単純で、合成系での期待値を行列で表し、それを前回と同じように線型写像と捉えることである。

前回の記事

では、一つの系の古典期待値

\[\mathbb{E}[a] = \sum_i a_i p_i\]

をトレースで書き直し、

\[\mathbb{E}[a] = \operatorname{Tr}(A\rho)\]

という形に直した。その結果、物理量 \(A\) と状態 \(\rho\) に

\[A^\dagger = A,\qquad \rho \ge 0,\qquad \operatorname{Tr}\rho = 1\]

という条件が自然に現れることを見た。今回はその続きとして、合成系では状態がテンソル積空間 \(\mathcal H_A \otimes \mathcal H_B\) 上の作用素として現れることを確認する。

この記事の流れは次の通りである。

古典的な相関 \(\mathbb{E}[ab]\) から出発する。

測定値の候補を全部並べると、\([A]\otimes[B]\) が自然に現れることを見る。

同時確率を並べた行列と組み合わせると、相関がトレースで書けることを確認する。

その行列を、正規直交基底に関する線型写像の表現として読み直す。

最後に、合成系の式が \(\operatorname{Tr}((A\otimes B)\rho)\) という基底に依らない形になることを見る。

1. 古典的な相関から出発する

まず二つの古典系を考える。ここで大事なのは、\(A\) と \(B\) は同じ系の中の二つの量ではなく、第一の系と第二の系という別々の系に属する物理量だということである。第一の系の測定値が \(a_1,\dots,a_n\)、第二の系の測定値が \(b_1,\dots,b_m\) を取るとする。\(a_i\) と \(b_j\) が同時に起こる確率を \(p(a_i,b_j)\) と書けば、積の期待値は

\[\mathbb{E}[ab] = \sum_{i=1}^n \sum_{j=1}^m a_i b_j p(a_i,b_j)\]

である。

相関係数

\[\mathrm{Corr}(a,b) = \frac{\mathbb{E}[ab]-\mathbb{E}[a]\mathbb{E}[b]}{\sigma(a)\sigma(b)}\]

も、結局はこの \(\mathbb{E}[ab]\) を土台にして作られる。したがって合成系の構造を理解したいなら、まずはこの式をどう行列で表すかを考えるのが自然である。

2. 一つの系では対角行列で書けた

一つの系だけなら、測定値を対角行列に並べればよかった。二つの系についても同じように

\[[A] = \begin{pmatrix}a_1 & 0 & \cdots & 0 \\ 0 & a_2 & \cdots & 0 \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & 0 & \cdots & a_n\end{pmatrix},\qquad [B] = \begin{pmatrix}b_1 & 0 & \cdots & 0 \\ 0 & b_2 & \cdots & 0 \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & 0 & \cdots & b_m\end{pmatrix}\]

と書ける。

一つの系では、物理量の対角行列と確率を並べた対角行列の積のトレースが期待値を与えていた。では二つの系を同時に見るとき、物理量の側にはどんな行列が来るのだろうか。ここでテンソル積が出てくる。

3. 合成系では候補値の全組合せを並べる

第一の系だけを見るなら、測定値の候補は

\[\{a_1,\dots,a_n\}\]

であり、第二の系だけなら

\[\{b_1,\dots,b_m\}\]

である。

しかし二つを同時に見ると、結果は \((a_i,b_j)\) という組で指定される。したがって、積の期待値 \(\mathbb{E}[ab]\) を計算するには、各組に対応する値 \(a_i b_j\) を全部並べなければいけない。

つまり合成系では、候補値は

\[\{a_1 b_1,\ a_1 b_2,\ \dots,\ a_i b_j,\ \dots,\ a_n b_m\}\]

のように、すべての組合せを含む。個数は \(nm\) 個なので、合成系の物理量を表す行列は \(nm\times nm\) 行列であるべきだと分かる。

そこで \([A]\otimes[B]\) を作ると、これはちょうど \(nm\times nm\) 行列になり、その対角成分には \(a_i b_j\) がすべて並ぶ。

たとえば \(n=m=2\) のとき、

\[[A] = \begin{pmatrix}a_1 & 0 \\ 0 & a_2\end{pmatrix},\qquad [B] = \begin{pmatrix}b_1 & 0 \\ 0 & b_2\end{pmatrix}\]

であり、

\[[A]\otimes[B] = \begin{pmatrix}a_1[B] & 0[B] \\ 0[B] & a_2[B]\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}a_1 b_1 & 0 & 0 & 0 \\ 0 & a_1 b_2 & 0 & 0 \\ 0 & 0 & a_2 b_1 & 0 \\ 0 & 0 & 0 & a_2 b_2\end{pmatrix}\]

となる。積の候補値が確かにすべて現れている。

ここで大事なのは、テンソル積は便利そうだから後から導入するものではない、という点である。合成系で積の期待値を計算しようとすると、候補値の全組合せを同時に並べる必要がある。その要請を行列で書いたものが \([A]\otimes[B]\) なのである。

言い換えると、「合成系だからテンソル積を使う」のではなく、「候補値を全部並べるとテンソル積になる」と見るべきである。ここで、なぜ合成系にテンソル積が現れるのかがかなり具体的になる。

4. 状態の側にも同じ数だけ確率を並べる

物理量の側が \(nm\times nm\) 行列になったなら、状態の側もそれと掛け合わせられる同じサイズの行列でなければいけない。そこで、同時確率 \(p(a_i,b_j)\) を対角成分に並べた行列

\[[\rho] = \begin{pmatrix}p(a_1,b_1) & & \cdots & & 0 \\ & \ddots & & & \\ \vdots & & p(a_i,b_j) & & \vdots \\ & & & \ddots & \\ 0 & & \cdots & & p(a_n,b_m)\end{pmatrix}\]

を考える。

対角成分の並び順は、たとえば

\[(i,j) = (1,1),(1,2),\dots,(1,m),(2,1),\dots,(n,m)\]

のように一つ固定しておけば十分である。大事なのは、\([A]\otimes[B]\) と \([\rho]\) の対角成分を同じ順序で並べることである。

この順序に従うと、

\[[A]\otimes[B]= \begin{pmatrix}a_1 b_1 & & \cdots & & 0 \\ & \ddots & & & \\ \vdots & & a_i b_j & & \vdots \\ & & & \ddots & \\ 0 & & \cdots & & a_n b_m\end{pmatrix}\]

となる。したがって、

\[([A]\otimes[B])[\rho]= \begin{pmatrix}a_1 b_1 p(a_1,b_1) & & \cdots & & 0 \\ & \ddots & & & \\ \vdots & & a_i b_j p(a_i,b_j) & & \vdots \\ & & & \ddots & \\ 0 & & \cdots & & a_n b_m p(a_n,b_m)\end{pmatrix}\]

となり、対角成分には \(a_i b_jp(a_i,b_j)\) だけが残る。トレースは対角成分の和なので、

\[\operatorname{Tr}\bigl(([A]\otimes[B])[\rho]\bigr) = \sum_{i=1}^n \sum_{j=1}^m a_i b_j p(a_i,b_j)\]

が成り立つ。したがって

\[\mathbb{E}[ab] = \operatorname{Tr}\bigl(([A]\otimes[B])[\rho]\bigr)\]

と書ける。

つまり古典的な相関は、合成系では測定値の全組合せを並べた行列 \([A]\otimes[B]\) と、同時確率を並べた行列 \([\rho]\) のトレースとして表される。ここで得られたのは、合成系の期待値を行列で書くための自然な形である。

5. ここまでの古典的記述を整理する

ここで一度、何をしたのかを整理する。

一つの系では、測定値 \(a_i\) と確率 \(p_i\) を対角行列に並べることで

\[\mathbb{E}[a] = \sum_i a_i p_i = \operatorname{Tr}([A][\rho])\]

と書けた。

二つの系では、その拡張として、物理量の側は \([A]\otimes[B]\) に、状態の側は同時確率を並べた \([\rho]\) になる。したがって

\[\mathbb{E}[ab] = \sum_{i,j} a_i b_j p(a_i,b_j) = \operatorname{Tr}\bigl(([A]\otimes[B])[\rho]\bigr)\]

と書ける。

ここまではまだ完全に古典確率の話である。ただし重要なのは、この段階ですでにテンソル積が現れているということである。テンソル積は量子論に入って突然出てくるのではなく、合成系の期待値を素直に書こうとした時点で現れている。

6. 行列を線型写像だと解釈してみる

ここから前回と同じ発想を使う。行列を単なる数字の表ではなく、正規直交基底を一つ選んだときの線型写像の基底表示だと考える。

第一の系と第二の系は別々の系なので、それぞれに別の内積空間 \(\mathcal H_A\)、\(\mathcal H_B\) を対応させる。そして、正規直交基底を選んだときに、線型写像 \(A:\mathcal H_A\to\mathcal H_A\) と \(B:\mathcal H_B\to\mathcal H_B\) の行列表現が、それぞれ \([A]\)、\([B]\) になると考える。

\(\mathcal H_A\) の基底を \(e_1,\dots,e_n\)、\(\mathcal H_B\) の基底を \(f_1,\dots,f_m\) とする。このとき線形代数の標準的な事実として、テンソル積行列 \([A]\otimes[B]\) は、テンソル積空間 \(\mathcal H_A\otimes\mathcal H_B\) 上の線型写像 \(A\otimes B\) の、積基底 \(e_i\otimes f_j\) に関する表現行列と解釈できる。

言い換えると、\([A]\otimes [B]\) は、「各部分系の線型写像 \(A\)、\(B\) を合成系で同時に見た写像 \(A\otimes B\) を、積基底 \(e_i\otimes f_j\) で表したもの」なのである。

状態の側も同様である。古典的には同時確率を並べた対角行列 \([\rho]\) を書いていたが、これも積基底に関する基底表示だと考えれば、本体は線型写像

\[\rho:\mathcal H_A \otimes \mathcal H_B \to \mathcal H_A \otimes \mathcal H_B\]

である。
前回の記事

と同じ議論により、\([\rho]\geq0\)であることから、基底によらない

\[\rho \ge 0,\qquad \operatorname{Tr}\rho = 1\]

という条件に一般化する。
したがって、4章で得た古典的な式は、基底に依らない形では

\[\mathbb{E}[ab] = \operatorname{Tr}\bigl((A\otimes B)\rho\bigr)\]

と書ける。

ここで注意すべきなのは、\(\rho \ge 0\)という条件は論理的帰結ではないという点である。
一見すると

\[[\rho]\geq 0 \Leftrightarrow \rho \ge 0\]

が成り立つように見えるが、この推論は\([\rho]\)が積基底において対角化できる行列であるという条件がついていることを見落としてしまっている。
一般には積基底で対角化できるとは限らないため、\(\rho \ge 0\)を採用することで状態の範囲は真に広くなっている。
しかし、古典論においては状態の非対角成分は消えるので、変化があるのは量子論だけである。
別の記事で触れるが、この拡張によって量子論にはエンタングルメントという性質が現れることが知られている。

7. テンソル積で見える古典系と量子系の違い

合成系の物理量 \(A\otimes B\) は、第一の系の物理量 \(A\) と第二の系の物理量 \(B\) が別々の場所に作用するものをひとまとめに表現したものである。
この定義から、別々の系の物理量は

\[(A\otimes I)(I\otimes B) = A\otimes B = (I\otimes B)(A\otimes I)\]

と常に可換になる。つまり

\[[(A\otimes I),(I\otimes B)] = 0\]

が成り立つ。
従って、合成系をテンソル積で作る限り、別々の部分系に属する物理量どうしは最初から可換であり、その点では古典系と量子系の差は出ない。
非可換性が生じるのはそれぞれの系の中でのみである。

8. まとめ

この記事でやったことを一言で言えば、古典的な相関の式を丁寧に行列へ書き直し、それを線型写像として読み直したことである。

古典的な相関の基本式は

\[\mathbb{E}[ab] = \sum_{i,j} a_i b_j p(a_i,b_j)\]

である。合成系では候補値の集合 \(a_i b_j\) を並べる必要があるので、物理量は自然に \([A]\otimes[B]\) で表される。さらに、同時確率を並べた行列を組み合わせると、

\[\mathbb{E}[ab] = \operatorname{Tr}\bigl(([A]\otimes[B])[\rho]\bigr)\]

と書ける。

そして \([A]\) や \([B]\) を単なる行列ではなく線型写像の表現だと読めば、\([A]\otimes[B]\) はテンソル積空間 \(\mathcal H_A\otimes\mathcal H_B\) 上の作用素 \(A\otimes B\) の表現行列になる。したがって、合成系の期待値は最終的に

\[\mathbb{E}[ab] = \operatorname{Tr}\bigl((A\otimes B)\rho\bigr)\]

という基底に依らない形で書ける。

言い換えると、テンソル積は合成系だから形式的に導入するものではない。合成系で起こりうる測定値の組合せを全部並べ、その確率と掛け合わせて期待値を作ろうとすると、自然にテンソル積が現れる。そして、別々の系の物理量はこの時点で可換のままだが、状態の側では古典系と量子系で決定的な差が生じる。