トンネル効果を不思議がる前に
トンネル効果は、しばしば量子力学の不思議な現象として紹介されます[1]。
ただし、トンネル効果だけを不思議がる前に、そもそも量子力学のポテンシャルが古典力学と同じように「壁」として働くのかを確かめておく必要があります。この記事では、まずその前提から見ていきます。
量子力学では、運動エネルギーとポテンシャルエネルギーは一般に同時に定まった値を持ちません。これは古典的な直感とは相容れない性質です。
それにもかかわらず、なぜ \(V(x)\) は古典力学のポテンシャルと同じように、粒子を押し戻したり引き寄せたりするのでしょうか。
古典力学では、全エネルギー
が保存されます。そのため、粒子は全エネルギーを超えるポテンシャル領域には入れません。ポテンシャルの壁が文字どおり壁として働くことは、すぐに分かります。
一方、量子力学では位置と運動量が一般には同時に定まらず、エネルギーはハミルトニアン演算子
によって表されます。したがって、量子力学に現れる \(V(x)\) が、なぜ古典的なポテンシャルと同じ向きに運動を変えるのかは自明ではありません。
そこでこの記事では、「量子力学のポテンシャルは、なぜポテンシャルらしく働くのか」を、時間発展を細かなステップに分けながら調べます。その上で、トンネル効果がどこから生じるのかを考えます。
時間発展を離散化する
見やすさのために \(\hbar=1\) とおきます。時間依存 Schrödinger 方程式は
です。ハミルトニアンを
と分けます。ここで有限時間 \(t\) を \(N\) 分割し、短い時間幅 \(\Delta t=t/N\) を導入します。このとき Trotter の積公式[2]
が成り立ちます。
ここで重要なのは、量子力学の時間発展全体を、短い時間ごとの二種類の操作の繰り返しとして理解できることです。つまり
という極限を通じて、時間発展を「運動エネルギーステップ」と「ポテンシャルステップ」の積み重ねとして捉えます。
まずポテンシャルステップでは、波動関数は
と変化します。これは位置ごとに異なる位相回転を与えるだけなので、位置表示での確率密度 \(|\psi(x)|^2\) は変わりません。したがって、このステップで直接変わるのは位置分布ではなく運動量分布です。
逆に運動エネルギーステップでは、運動量表示で
と変化します。こちらは運動量ごとの位相回転なので、運動量分布 \(|\tilde\psi(p)|^2\) は変わりません。変わるのは位置分布です。
したがって時間発展は、次の二つが交互に起きる過程として見られます。
- ポテンシャルステップ: ポテンシャルに応じて運動量分布を更新します
- 運動エネルギーステップ: その運動量分布に応じて位置分布を更新します
次のシミュレーションでは、青線が時間発展をステップに分けて計算した結果、黄色が厳密解を表しています。
離散化した計算結果は厳密解をよく再現しているため、以下でもこの分解を使って現象を調べます。
ポテンシャルを区分的に直線で近似する
解釈しやすくするために、ポテンシャルを区分的に直線とみなします。
具体的には、\(x\) 軸を細かい区間 \([x_j,x_{j+1}]\) に分け、各端点 \(\left(x_j,V(x_j)\right)\) と \(\left(x_{j+1},V(x_{j+1})\right)\) を直線で結ぶことで、全体を折れ線ポテンシャル \(V^{\mathrm{lin}}(x)\) で近似します。
この折れ線ポテンシャルは、各区間で
と書けます。ここで \(V_j\) と \(F_j\) は定数で、\(F_j\) はその区間での力に対応します。言い換えると、なめらかなポテンシャルを短い区間ごとの「一定の傾き」に分解して考える、ということです。
区間ごとのポテンシャルステップを見る
次に、この区間分割に合わせて波動関数を分けます。時刻を
と刻み、各ステップで波動関数を
と分解します。ここで \(\chi_j(x)\) は区間 \([x_j,x_{j+1}]\) で 1、それ以外で 0 となる関数です。波動関数を、区間ごとの短冊状の成分の重ね合わせとして見るイメージです。
時間 \(\Delta t\) の一回のポテンシャルステップでは、位置分布は変わりません。また、成分 \(\psi_j\) は対応する区間の外で 0 です。したがって、この成分に作用するポテンシャルとしては、区間内の
だけを考えれば十分です。よって、\(j\) 番目の成分に対するポテンシャルステップは
となります。
これを運動量表示で見るために、
と書きます。すると
となるので、指数をまとめれば
と書けます。ここで \(p'=p+F_j\Delta t\) と置換すると、
を得ます。したがって運動量表示では
となります。
この式は、ポテンシャルステップが区間 \(j\) の運動量分布を
だけ平行移動することを意味します。ここで、区間内では \(F_j=-\frac{dV^{\mathrm{lin}}}{dx}\approx -\frac{dV}{dx}\) なので、これはちょうど「運動量変化 = 力 × 時間」という古典力学の形になっています。
つまり、量子力学のポテンシャルも局所的には、その傾きに応じた力積を古典力学と同じように与えることが分かります。
全体の波動関数に戻る
ここまでは各区間の成分 \(\psi_j\) に対して議論しました。では全体の波動関数では何が起きるのでしょうか。各成分を足し合わせると、全体の運動量波動関数は
となります。つまり各区間の成分が、それぞれ異なる力積 \(F_j\Delta t\) を受けて平行移動したものの重ね合わせになります。
ここで \(e^{-iV_j\Delta t}\) は各成分に位相差を与えますが、それ自体が各成分の平行移動量を変えるわけではありません。
したがって、たとえばすべての区間で力 \(F_j\) が同じ向きなら、
によって、各成分の運動量分布は力の向きへそろって移動します。
以上から、波動関数全体に対しても、ポテンシャルは古典力学と同じように「力」を及ぼすものとして解釈できます。
そしてトンネル効果はなぜ起こるのか
ここまでで、量子力学のポテンシャルも古典的なポテンシャルと同じように粒子の運動を変えることが分かりました。これでようやく、トンネル効果そのものを考える準備が整いました。では、トンネル効果はどこから生じるのでしょうか。
ポテンシャルを \(V(x)\) とし、
となる場合を考えます。
すなわち、一次元空間で粒子に負の向きの力を及ぼすポテンシャル障壁を考えます。
正の方向へ進む波束を、このポテンシャルに入射させます。
古典力学では、粒子は運動エネルギーをポテンシャルエネルギーに変えながら坂を登ります。やがて運動エネルギーが尽きると、そこで引き返して坂を下ります。
量子の場合も、上式から、ポテンシャルの坂によって波束の運動量が削られていくことが分かります。そこで、正の運動量成分がすべて失われた瞬間を古典的な限界点とみなし、その直後に何が起きるのかを調べます。
古典力学なら、それ以降は正の方向へ進みません。それでも右向きの確率流が生じるなら、それをトンネル効果の現れと捉えられます。
数式で表すと、正の運動量の確率が
となったと仮定し、その次のステップを調べます。
この条件に至るのは運動量分布を変えるポテンシャルステップによるため、続く操作は運動エネルギーステップ
です。このステップでは運動量分布そのものは変わりません。つまり \(P_+(t)=0\) のままなので、直感的には右向きの運動を生む要因はないように見えます。
そこで、実際に正の方向への流れが生じるかどうかを確率流から確かめます。
粒子を位置 \(x\geq a\) で見いだす確率は
と計算でき、その時間変化は
となります。したがって、正の運動量成分が消えていても、\(j(x,t)>0\) となる場所があれば、そこでは右向きの確率流が生じています。
確率流 \(j(x,t)\) を運動量表示で書くと
となります。対角成分 \(p=q\) だけを見れば、運動量の符号に沿った流れしか生じないように思えます。しかし、位相因子 \(e^{i(q-p)x}\) を含む非対角成分は、流れの向きを反転させることがあります。
この干渉によって \(j(x,t)>0\) となる点が現れ得ることが、トンネル効果を理解する鍵になります。
まとめ
本記事では、トンネル効果を不思議がる前に、その前提から確かめました。
まず、量子力学のポテンシャルも局所的には古典力学と同じように力積を与え、粒子の運動を変えることを確認しました。
その上でトンネル効果がどこから生じるのかを調べ、量子特有の位相因子による干渉が鍵になることを見ました。
もっとも、これで本当にトンネル効果を理解できたと言えるのでしょうか。
「位相因子による干渉があるから」と言われても、すぐに納得できる人ばかりではないでしょう。
結局のところ、位置と運動量、あるいはポテンシャルエネルギーと運動エネルギーが同時確率分布を持てない、という事実以上のことは分からないのかもしれません。
量子論の保存則は、個々の物理量が常に確定値を保つという形ではなく、確率分布に関する法則として現れます。
そう考えると、トンネル効果も量子論の構造から自然に生じる現象なのかもしれません。
参考文献
- George Gamow, “Zur Quantentheorie des Atomkernes,” Zeitschrift für Physik 51, 204–212 (1928).
- Hale F. Trotter, “On the Product of Semi-Groups of Operators,” Proceedings of the American Mathematical Society 10, 545–551 (1959).